スピーカープロフィール

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マハティール・ビン・モハマド

マレーシア第4代首相(1981 - 2003)

マレーシア第4代首相。マレーシアの首相の中では最長の22年を務め上げた。

開業医から政治家に転じ、欧米諸国ではなく、日本の経済成長を見習おうというルックイースト政策をはじめ、長期に及ぶ強力なリーダーシップにより、マレーシアの国力を飛躍的に増大させた。

1990年10月の総選挙で勝利を収めたマハティールは、(第四次マハティール政権発足)1991年2月28日、新経済計画(NEP)が終了するのに伴い、マレーシアを2020年までに先進国の仲間入りを達成させる野心的なプロジェクト「WAWASAN2020(ヴィジョン2020)」を策定。マレーシアの経済発展の新しい指針となった。9つの戦略的課題を提示することで、30年間でのマレーシアの国内総生産を8倍(1990年時点で1150億リンギから2030年時点で9200億リンギへ)に伸ばすことを目標に据えた。

その代表的なものとして、首都クアラルンプール周辺地域に建設された最新のITインフラが整備された総合開発地域マルチメディア・スーパーコリドーの建設が上げられる。このマルチメディア・スーパーコリドーには、中核となるハイテク工業団地サイバージャヤと、首相官邸や各省庁舎が立ち並ぶ行政都市プトラジャヤ、クアラルンプールの新しい空の玄関となるクアラルンプール国際空港 (KLIA)、空港に隣接するスパン (Sepang) サーキットなどが建設された。

対外的にも1990年に後の東アジア共同体構想に繋がる東アジア経済グループ (EAEG) 構想やその発展版の東アジア経済協議体 (EAEC) 構想を打ち上げるなど、積極的に行動している。

東アジア経済協議体構想やルックイースト政策に見られるように、アジア諸国との連帯をその政策の中心に置いたが、隣国シンガポールや、白人国家オーストラリアの首脳に対して挑発的な言動を取ったり、アメリカに異議を唱えるなど、その発言と行動は世界各国の注目の的であった。

息子や娘を日本の大学に留学させたり日本に関する著書を出したり、あるいは政治の舞台から離れた現在では日本人と共同でベーカリーを経営するなど熱烈な親日家である。

「日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい」とアジア外交について述べ、日本政治の問題について助言をしたことは有名である。

一方、日本の経済成長をマレーシアの発展の参考にするなどしてきたが、現役時から現実的な目線で知られ、近年の日本経済停滞を批判的に注視している。

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<書籍>

<講演ビデオ>

■Dr. Mahathir bin Mohamad speaks about Malaysia part 1

■Leading a country - Tun Dr Mahathir Bin Mohamad, Former Prime Minister

■Dr. Mahathir bin Mohamad:"The US should change its attitude"