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ジェームズ・ゴードン・ブラウン

第74代イギリス首相(2007年 - 2010年)

1997年5月から2007年6月までブレア政権で財務大臣を務める。財務大臣としての在任期間は、19世紀の政治家ニコラス・ヴァンシタートに次ぐ長さとなった。

ブレアとともに「ニューレイバー」の旗頭であったが、ブレアよりは左派寄りで「ソフト・レフト」を自称した。しかし財務大臣としては規制緩和など市場主義路線を大胆に推し進め、高成長を維持した。こうした政策は、後の首相就任時の金融バブル崩壊後、その一因として厳しく批判されることになるが、当時は高い評価を得た。

2007年6月24日開催の英国労働党大会で党首に選出され、同年6月27日に首相の座を退いたトニー・ブレアの後継としてイギリスの首相に任命された。

早くから「次期労働党党首の最有力候補」と見なされ続けてきたブラウンにとって、満を持しての首相就任であったが、ブレア時代に一貫して低調だった保守党が、デービッド・キャメロンの党首就任を機に支持を盛り返しており、2006年ごろの世論調査でブラウンが首相となった場合の支持率においても保守党を下回った。ブレア政権の負の遺産を抱えてのスタートとなるため、新政権の先行きは不透明なものとなるとの観測が支配的だった。

長年政権中枢にあったブラウンは首相職も着実にこなし、安定感ある仕事振りが評価されて、労働党の支持率は保守党を上回った。このため9月の労働党大会では党内から年内の解散求める声が上がり、10月初頭に政局は緊迫した様相を見せたが、保守党の提示した減税案が好感されて支持率で猛追されたこともあり、解散は断念に追い込まれた。

しかし2009年に入ると英経済が17年振りの景気後退に入るとともにポンド安・金融危機が一層深刻化する中で経済運営への信頼も揺らいだ。春には国会議員の不明朗な経費請求問題への対応で後手に回り強い批判を浴びるとともに、元グルカ兵の永住権問題で野党動議の可決を許すなど窮地は深まるばかりで、労働党の支持率は史上最低の22%に低下した(保守党は45%)。6月に入ると主要閣僚がスキャンダルで相次いで辞任し、党内で党首交代を求める電子メールが出回るなど「ブラウン降ろし」の動きが公然化した。結局、統一地方選で労働党は250議席減らし大敗。ダービーシャーなど北部4州の議席を全て保守党に奪われる事態となった。

2010年5月11日、総選挙結果の責任を取り、首相及び労働党党首を辞任し、13年に及ぶ労働党政権に幕を引いた。

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